古代文学論Ⅱ前期 作成解答
国引き神話
『出雲国風土記』の最初、「意宇郡(おうぐん)」の冒頭に、出雲国の成り立ちが書かれている。いわゆる、「国引き神話」である。これは、『古事記』や『日本書紀』には書かれていない、出雲独自の神話である。
ある日、八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)は、「出雲の国はなんと狭い国なのだろう。小さく作り過ぎたのだな。ひとつ足らないところを継ぎ足してやれ」 と出雲国を見渡して言ったと記されている。
そしてはるか遠方を見渡すと、新羅国に少し余裕があるように思えた。の大きな鋤を手にして、その一部を素早くグサリと断ち切った。そして、強い綱をかけて「国よ来い。国よ来い」とゆっくりゆっくり引っ張ってきた。杵築の御碕(きづきのみさき)である。
同じようにして臣津野命は北方の佐伎(さき)国、良波(よなみ)国、北陸の都都(つつ)の岬の一部を断ち切り、引っ張って来た。これらは、それぞれ狭田(さだ)国、闇見(くらみ)国、三穂碕(みほのさき)となった。
この時、これらを引っ張った綱は薗長浜・夜見島(よみのしま)となった。引っ張ってきた国を固定するために左右に打ち込まれた杭が、それぞれ佐比売(さひめ)山(現在の三瓶山)、火神岳(ひのかみのたけ)(大山)になったという。
この国引き神話は、出雲国の成り立ちを示したものである。だが、八束水臣津野命が国引きをした範囲は、同じ日本海沿岸の北陸地方や、対岸の朝鮮半島(韓半島)まで及んでいる。
出雲国と黄泉との関わり
イザナキによる倭国統一の事業も最終局面に達していた。出雲国は頑固にヤマト国の支配を拒んでいた。イザナキは政治工作と武力の両面から働きかけた。出雲国も一度はヤマト国の要求に屈して、出雲国の姫をイザナキの妃とした。この妃が亡くなって、ヤマト国と出雲国との関係も断たれた。そこで、イザナキは再び妻を迎えに出雲国に進軍した。今回は、出雲国ではスサノヲらの主戦論が通り、ヤマト国との決戦を決意していた。
一八〇年頃、イザナキは斐伊川上流にヤマトの大軍を送り込んだ。この地は中国山地の山の中で、攻めるのに難しく、守るに易しい場所である。数で劣る出雲側はこの場所にヤマト国の軍を誘い込んで、わなをしかけた。出雲国の首長は帰順するふりをして、イザナキの軍を油断させた。そして、交渉を長引かせて、時間をかせぎ、攻撃の準備を整えた。イザナキの軍はまんまとこの計略にかかってしまった。イザナキの軍は不案内な土地で無為に時を過ごした。気付いた時は遅かった。出雲の兵が一斉に攻撃してきた。イザナキの軍は壊滅的打撃を受け、敗走した。斐伊川の水はイザナキ軍の兵士の流した血で赤く染まった。出雲国は一五〇〇人もの軍勢で追撃してきた。これに対して、イザナキの軍勢は数倍、五〇〇〇人程度であったと思われる。
この絶対数の差のために出雲国の軍はヤマトの軍を決定的に破りながらも、国境を超えて追撃する余力がなかった。このためにイザナキはかろうじて逃げることができた。ヤマト国の人はこの出雲の地でまさに地獄を見た。この記憶のために出雲国を黄泉国と呼んだ。
「播磨国風土記」の「国見」
天皇が土地を見て、土地の名をつけていく儀式。
例えば、賀古郡の郡では、天皇がまわりを遠く見渡して、「この国土は、丘と原と野とがとても広々としていて、この丘を見ると、まるでカコ(鹿の子)がひとりで立っている姿のようだ」と仰せられた。それでこの地を名づけて賀古の郡という。
餝磨の郡では、大立の丘というものがあり、それは応神天皇が丘に立って、国土の状況を誉めたことによって大立の丘と名づけた。
揖保の郡の高瀬という地名は、応神天皇が夢前の丘に登って国見すると、北の方角に白い色をしたものがあった。「あれは何だ」とおっしゃった。すぐに舎人、上野の国出身の麻奈昆古を遣わして探り見させてところ、「あれは高い所から流れ落ちる滝の水、まさにこれでございました」と申し上げた。そこで高瀬の村と名づけた。
大見山という地名は応神天皇がこの山の嶺に登って、まわりを遠く見渡して国見の儀式をしたので。
見前山。この山の岬状に突き出たところが、三ヶ所あるので。
御立岡。応神天皇がこの岡に登って、国見をなされたから。
「播磨国風土記」の「国占め」
国占めとは、土地を新しく開墾し、その地の支配者となること。国を占有したときに天皇が捧げた言葉によって残った地名。
揖保郡・香山の里(いひぼ かぐやま)鹿来墓とよぶわけは、伊和大神が国を占めなされた時、鹿が来て山の峰にたった。山の峰は墓の形に似ていた。
揖保郡・林田の里(元の名は談奈志(いはなし))談奈志と称するわけは、伊和大神が国をお占めなされたとき、御志(みしるし)をここに突き立てられると、それからついに楡(いはなし)の樹が生えた。
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