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遊ぶことについて、アイヌの遊び

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遊ぶことについて、アイヌの遊び

 人間が行う行動の身体的、生理的、本能的なものを除けば、“仕事”“勉強”“遊び”の3種にわけられることができると思う。一般的に大人は“仕事”に費やす時間が多くなり、学生は“勉強”に費やす時間が多くなる。子どもは“遊び”に費やす時間が最も多いだろう。
子どもの遊びについて考えてみたい。遊ぶことが仕事、と子どもは呼ばれるように、遊びに一生懸命時間を費やす。遊ぶことが仕事と呼ばれるのは理由がある。子どもはやることがなく、“遊び”をしているわけではない。子どもは遊ぶことによって、将来、大人になったときの技術の下積みを作っている、という仮説をたてたい。

 ところが、現代日本人の遊びとして最も先に浮かぶのはテレビゲームやパソコン、カラオケなどの機械を使ったものではないだろうか。それでも将来の役に立たない、とはいえないが、将来にそれを見出すのは難しいだろう。先の仮定、「元来、“遊び”は大人になるために必要な技術の修練として存在した」は過去の暮らしに近かったアイヌの“遊び”にその一部を見ることができるのではないだろうか。

 例えば、アイヌの遊びに枝を円く輪にしたものを転がし、それを棒でつつく「輪突き」という遊びがある。慣れるにしたがって、輪を小さくして精度を競う。この「輪突き」の意味するものは狩りや漁で獲物を確実に一突きで倒せるような修練である。この遊びは広く広まり、アイヌの社会ではメジャーだったようである。さらに「輪突き」を発展させたものに「投輪突き」というものがある。2組のチームに別れて枝の輪を投げ合い、一方が輪を竿で突き刺して受け、うまく受けられると輪を投げた方が1人とられ、受けそこなうと受けるほうが1人とられる。その他にも様々なローカルルールがあるようだ。輪を突いてとられるととられた方から1人行って、そこでもう一度地上でまわした輪を突いて、うまく刺さると戻れるが、刺さらないと人質のようにされ、チーム全員が人質になると、負けになってしまう。また、突いた輪を砂の中に埋めて隠したものを投げたほうが取りに行き、隠したと思うあたりを砂の上から突き、当たると輪を取り戻せるが、当たらないととられてしまう、というのもある。類似したものに輪を弓でうつ「輪射ち」がある。名前の通り、投げた輪を矢で打つのである。
 
 アイヌは狩りを主体とした民族であった。狩りをテーマとした遊びは数多い。「子犬おくれ」という遊びがある。春先の雪が熔けはじめる季節の小川に、銀色の猫柳が顔を見せはじめる。古く猫のいなかったコタンの子どもは銀色の猫柳を子犬にみたてる。それをニ・ポシタ(木の子犬)と呼んで、追いかけっこする。ニ・ポシタをたくさんとったものの後を、ポシタ・エンコレ(子犬おくれ)と追いかける。または子犬ではなく、うさぎに見立て、これをたくさんとったものが偉いとするものもある。そうしてうさぎ狩りする日を植えつけていく。「マグロ突き」という遊びは、あからさまに狩りを意識したものである。遊び方として、1人の子どもが腰に縄を巻き、縄を長く地面にたらせ、縄の先に木の皮や枯れ草の束でできた標的などを縛ったものを引きずられ、逃げていく。それを狙って、先を尖らせた投げ槍のような棒を持った子どもが追いかけ、枯れ草の束や木の皮の標的に向かって投げつける。うまく刺さると、子どもが地面に転ぶ。ここで逃げる子どもは必死に逃げる獲物をあらわしている。子どもにとっては狩りの下地になる。

 狩りのための身体的修練の遊びも多い。「鼻まわし」という遊びは獲物を相手に激しく立ち回っても、獲物を逃すことないようにものであった。反対の腕の下から一方の手をまわして耳を押さえて、片方の手をまわして耳を押さえて、片方の手を真っ直ぐにのばして目がまわるほど何回かまわり、ある目標に向かって歩き、手を伸ばし、うまく目標に当たり成功すると、賞賛され、失敗すると嘲笑される。

 狩りのための跳躍力を鍛える遊びとして「大波小波」というのがある。和人の縄跳びと同じものがアイヌにもあるが、それの類似した遊びである。「大波小波」というのは縄の真ん中の飛び越える部分に棒がある。うかつに飛び越すのを失敗すると、すねに当たってしまう。「大波小波」は縄跳びというものより、ハードル競争に近いものであったようだ。これは足場の悪い山間部でも十分、素早い跳躍のできるような鍛錬であろう。飛ぶものには「棒高飛び」もある。棒高跳びは陸上競技として立派に存在するが、なかなか和人の間でもやっている子どもたちは少ないのではないだろうか。棒で崖を駆け上がり、獲物を追うアイヌは山狩りには必ず山杖を持って歩いていた。
狩りに対する心構えの遊びもある。「耕作遊び」は右手に鎌を持ち、左手をまげた腰の上におきながら歌を歌いながら、途中まで行くと、先頭のものが立ち止まって、「熊の匂いがするよ」というと、ものかげに熊になって隠れていたものが飛び出すと四方に逃げる。いつどんな時も熊は日常周辺にうろうろして、つねに注意していかなければならないという遊びからの教えである。
アイヌにもケン玉遊びがある。アイヌのそれは和人とは少し違う。細い木の枝をまとめるか、鷹のつめをいくつも重ねていくと、素晴らしく上等な輪ができるそうである。これも獲物の急所を確実に突くときの修練であった。さらに熟練したものになると、小刀の鞘を投げ上げて刀身の入る穴を小刀や棒で突く遊びがあった。これは想像しただけでも相当難しい。
 
 やがて雪が降ると、アイヌの子どもたちも「雪合戦」をやるが、アイヌの雪合戦には和人のそれに+αが加わる。それは的当ての時に現れる。的を決め、雪球を投げることは和人でもやるが、アイヌはそこに武器が加わる。それは弓である。雪でうさぎを作り、うさぎを弓で狙う。それは狩りを連想させる。和人の的当ては野球などを連想させるがそれは遊びである。「遊び→遊び」という構図になる。しかしアイヌの場合は「遊び→仕事」という構図になる。ちなみに、雪が降っていない時の的射ち遊びの標的は“貝”である。

 遊びからアイヌのとって密接な動物が熊だというのもわかる。「熊送り」というのがあるが、子どもにとっても熊は重要な動物であった。「怒り熊」という遊びでは、1人が身体を半分砂に埋め、手負い熊のようにしているところに、あたりのものが隙をみつけては走ってきて熊の埋まっている砂を踏みつけて素早く逃げる。怒っている熊につかまると、熊にとられた人間として熊の後ろに置かれる。つかまらなければ何度も行って熊を踏みつけ怒らせる。熊に対しての狩りの訓練でもある。

 このようにアイヌの遊びは、“遊び”が“仕事”を連想させるものが色濃い。アイヌの人たちにとって、“遊び”とは生きるために必要な技術の修練のためにあった、といえると思う。計画的に子どもに教えた遊びもあると思うが、ほとんどは子どもが大人の“仕事”、狩りを憧れて真似たものだろう。現代よりアイヌの生活は物が溢れているとはとてもいえない、だが、遊びを通してアイヌの豊かさ、感性の鋭さが十二分に伝わってきた。

参考資料

更科源蔵アイヌ関係著作集〈8〉アイヌの童戯 (1983年)
更科 源蔵
みやま書房
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