アイヌの歴史と差別
元々住んでいた先住民族地域に文明の進んだ(軍事の進んだという意味で)集団が突然入ってきて、暴力的にその土地を荒らすということ人類の歴史上よくある。残念ながらアイヌもその例には漏れなかった。
江戸時代、15世紀中頃から19世紀中頃までの間、アイヌに交易における商人の搾取、横暴を加えたかなりの割合の藩は松前藩だった。アイヌの生活は著しく圧迫される。では当時の松前藩とはどういう状況にあったのだろうか?
松前藩は藩自体の統括地域こそ広かったが、そのわりに農作物や米の収穫量は少なく、統括地域の量に比例して家臣は多くなるが、家臣の給料は払えなかった。そこで松前藩は家臣たちには蝦夷地をいくつかに分割してわけ与え、アイヌとの交易を推奨した。もちろんただ交易することは悪いことではない。当初は土地を管理していた家臣が直接交易を行なっていたが、後に商人が家臣に上納金を納め、交易を請け負うようになった。これを場所請負制といいます。ここから交換比率がアイヌにとって暴力的に悪くなっていった。主な戦いは普段からの和人に対する不満から道南のアイヌたちが一斉に立ち上がったコシャマインの戦い(1457年)、松前藩の毒殺だという不信感が強まり、シャクシャインを中心に各地のアイヌが集まったシャクシャインの戦い(1669年)、そして、場所請負制の過酷な扱いや横暴なふるまいなどにより不満が爆発したクナシリ・メナシの戦い(1789年)などの抗争が起こっている。
これらの背景の一つとしては、世界各国どの国も新たな土地、新たな利益を求めていた時代だったといえる。日本の動きとしては各群雄がまず日本を統一しようとする。そしてその次は近隣の国である。日本を統一した豊臣秀吉は朝鮮半島へと勢力を伸ばそうとした。この背景のみで松前藩による侵略が起きたかといえばそうではない。もう一つの背景とはアイヌの差別である。“近代以前は世界各国はどの国でも、他の国、他の民族を下に見ている意識、傾向があった。日本は特にあった。”という批判があるかもしれない。でも、それは違う。なぜなら日本は江戸時代、鎖国しつつも西欧諸国と貿易していたときには、西欧諸国を下には見てなかった。“南蛮”という言葉はあるが、それは日本人の見栄でしかなかった。日本人は憧れを持っていたからこそ、鎖国時代でも長崎の出島という極めて端のほうの一地域から、全国に発信していった。明治維新になり、開国後の和人の意識の変化は凄まじかった。いわゆる西洋かぶれである。
確かにアイヌには和人が驚くような文明は備わっていなかった。ここで和人はアイヌに対して我々民族より文明レベルの低い民族(あくまで当時の和人の視点から)、と認識、意識する。この認識、意識が現代まで消えずに残っている。
たびたびメディア、政治家の発言「日本は単一民族国家である」という言葉を耳にする。これはもちろんとんでもない誤解で、日本には他の民族も存在し、北海道にはアイヌという民族が存在する。「アイヌ問題」という言葉も耳にする。しかし、この言葉はアイヌのほうに問題があるよう感じる。実際問題は日本のほうにある。ここでは「アイヌ民族問題」と示すのがわかりやすいだろう。
では「アイヌ民族問題」とは何だろうか? 現在も厳しい経済的格差、社会的差別が存在する。平成11年のウタリ生活実態調査によると、被差別体験をしたアイヌの人たちの数は、学枚で46.3%、結婚のことで25.4%、就職や職場で17%にのぼることからも、今も根強い差別感情があることを示している。さらに生活保護を受けている人は平均の約2倍、働いている人の29.5%が農業・漁業などの第一次産業につき、中小企業を営んでいる人もあわせて、経営規模はきわめて零細である。大学進学率は平均の34.5%に対して16.1%と低く、社会的な地位を向上するうえで大切な教育面での格差が解消されていない。
この上の結果は前述したアイヌに対しての意識、認識があらわれている。この資料を見たときの自分自身の正直な気持ちは、そんなに差別はあるとは思わなかった、ということである。確かに良く見ればアイヌの方は顔の彫りが濃かったりするのだが、全員が全員、和人と明らかに違う顔しているのかといえばそうではない。「アイヌ民族問題」、現在はかなり少なくなってきていると思っていた。参考図書には「アイヌ、アイヌと学校で呼ばれ、アイスクリームという文字を見るのも嫌になった」とある。子どもは残酷である、という言葉を聞く。子どもは見た目から、何かの特徴を見つけ、悪口を言う。子ども本人にとってはそんなに悪意のないものなのだが、言われた子どもは傷つく。就職、職場での差別はさらに大問題である。アイヌは能力がない、ということはまったく言えない。分別のできるはずの大人が何を考えているのだろうか? まだここでも前述の意識、認識が残っている。
アイヌ民族差別とは主に「経済格差」「人的差別」「持上げ差別」の三つの問題を含んでいる。「経済格差」とは先に述べた内容である。では「人的差別」について考えよう。具体的な例をあげると、アイヌの写真を無断に使って「滅びゆくアイヌ」とテロップを入れたこと、警察の内部資料のカルテを勝手に出版する、といった行為があった。これはアイヌを同じ人間と扱っていないような差別である。アイヌの人たち対しての意識が極端に低い。
それでは「持上げ差別」とは何だろうか? それはアイヌであると名乗ると発生する、「自然と共にどうぞ生きてください」「民族なんですね」などの、一見プラスイメージではあるが、よく考えると大変無責任な幻想のおしつけでしかない現象を指すものである。これは僕たちも知らずによくやっているのではないだろうか? さらに「うちの地名はアイヌ語なんですか」「踊りは出来ますか」「純血ですか、それとも何分の一の血ですか」「アイヌ語は話せますか」「どこの地域のアイヌなんですか」というような事を執拗に聞いてきたりします。この差別については難しい。これが差別になるかどうかはアイヌの方の判断になるだろう。
例え「持上げ差別」が差別ではないとしても、このことが一つの問題点の答えを示してくれる。それは僕たち和人の「無自覚」だろう。僕たちはあまりにもアイヌについて知らない。現在、アイヌは個別の差別問題を解決するとともに、アイヌ民族が民族としての尊厳を取り戻し、その経済格差を解消し、差別構造を撤廃することを取り組んでいる。僕たちもアイヌを知り、異なる文化をもった集団が共生できる社会を作るために努力していかなければならないだろう。
※参考図書
小笠原信之著「プロブレムQ&A アイヌ差別問題読本〔シサムになるために〕」 緑風出版 1997年
榎森進著「『アイヌの歴史』北海道の人びと[2]」 三省堂 1987年
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