“覗き見趣味”の北朝鮮報道
小泉首相が訪朝を決め、対談からとんとん拍子に事が進みました。拉致被害者が明らかになり、生存者が確認され、北朝鮮から出された拉致被害者のリストの中から、生きている方は日本に戻ってきました。判を押したかのようにテレビ局が一斉に親族の方の記者会見を放送しました。この記者会見はテレビが今回の事件の内容よりも親族の涙を強調するよう、感じました。
連日、被害者の方の行動が報道されました。具体的に言えば、~さんは墓参りに行きました、~さんは高校の同級生や先生と会っていました、~さんはセレモニーがありました、~さんは結婚届を出しに行きました…。
こういうことを報道することに、どういった意味があるのでしょうか? 北朝鮮という国の一国指導で行われた拉致は重要な国家犯罪とも言えますし、国際問題でもあります。ということは拉致被害者はある意味、国際的な人ともいえるので、被害者の方の状況は、国際的な関心ともいうことができるかもしれません。しかし、前述した通り、高校の同級生や先生と会ったことが国際的な関心とは到底、思えません。
北朝鮮政府から何か干渉、あるいは重大な提言ががあれば、それはもちろんニュースになります。しかし、被害者の方の日常をただ流して、それをニュースとするのはいかがなものでしょうか。ただ被害者の方のプライベートを流している低俗なものです。
それを何故流しているのかといえば、それを見て楽しむ視聴者がいるからに他なりません。こういう視聴者は“覗き見趣味”といえます。この“覗き見趣味”が続く限り、プライバシー撮影、放映は続くでしょう。
地下鉄サリン事件の発生時、容疑者と目された方がいました。その方は執拗なマスコミ攻めにあいました。しかし、その方は犯人ではなく、多大な精神的被害を受けました。マスコミは深くは反省したはずでした。
ところが今回やっていることの本質は何も変わりません。“覗き見趣味”です。確かに異世界のような場所で暮らしていた人たちの日常は、視聴者にとっては非日常でしょう。しかし、誰しも自分の中で展開される日常は、他人からの非日常なのです。
メディアではいつも、被害者の方は可哀想→それをしたのは北朝鮮→北朝鮮が悪い、という安易な構図になっています。確かに今回の事件は99%北朝鮮が悪いとは思います。しかし、ただ“可哀想”という考えでは本質に辿り着かないでしょう。僕には、一連の報道が“お涙頂戴”的な茶番劇に見えて仕方ありません。こんなに恵まれない人がいる、それが何十年のときを経て、家族にあったり、失ったものをかすかに取り戻したり…。そういうドラマは感動的かもしれませんが、これはドラマではないのです。現実なのです。拉致被害者の方に直接聞いてみないとわかりませんが、拉致被害者の方は哀れみなど受けたくはないと思うのです。確かに、拉致という“国家的犯罪”を受け、それは最大の不幸だとしても、北朝鮮で立派に生活して、それはそれなりに北朝鮮で幸せなときもあったと思うのです。
この事件をもっと奥行のある捉え方をしてほしいのです。今のメディアは“事件”よりも“拉致された人”に焦点が当たってます。多少はその方にスポットを当てることは必要だと思いますが、今のメディアの姿勢には、とても賛成できません。今回の事件は北朝鮮に問題がありますが、過去、日本も同じようなことを戦時中やったのです。しかも、これよりも大規模でです。
北海道では少ないですが、本州のほうでは在日朝鮮人の方が、かなり多くいると聞きます。自ら日本に来た方もいるとは思いますが、多くの方が日本軍に連れ込まれた方です。こういう事実をメディアはほとんど報じません。このことがわかると、この事件の奥行が広がるのではないでしょうか。
北朝鮮に対して反北朝鮮感情を持たせることは、この事件に関しては仕方ないとは思いますが、ただ北朝鮮のことを嫌いになるのでは、そこらへんの子どもと変わりません。日本が戦時中やったことを知り、それを知ったうえで批判する立場をとるのが、大切です。ただ一様に悪い、というのでは事件の本質は何もわからず、見た目は変わったかのように見えても、本質は何も変わっていかないのです。
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過去にFC2ブログで運営していたブログ「大学生レポート書き方・作成サポート」の文章を#AKANUMAに移転した文章です。
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